「ヒロシマレクイエム」                      1996.07.28-30 東京 文京シビックホール


●ストーリー


七つの川を持つ美しい水の都。
原爆投下によって死の町になった広島。
広島の地より聞こえる人間の悲しみ、愛、命。
ロサンジェルスを拠点に活躍する振付師アレックス・マグノと
広島に生まれ育った大塚京子が手を組み、
演出に出口典雄を迎えて生きる人間の力強さ、悲しさを表現。
テラ(自由・正義・人間性・世界)
愛と平和の神を通じてテラは二人の恋する男性とともに自由を踊る。
シャーマン(抑圧・強欲・邪悪)
黒いベールで顔を隠しテラの陰を象徴し、呪われた顔をベールで包み現す。
テラとシャーマンで人間の欲望を表現。
原爆投下によって止まった広島の街。
大江光の「広島のレクイエム」の曲とともにクライマックスへ。

●大塚京子

広島女学院高校を卒業して、18歳で上京し
41年間東京で生活してきました。
今から52年前広島県安佐郡久地村に疎開していました。
小学校2年生でした。
8月の暑い朝、水泳大会があるので、
小川の側にあるお寺の庭に集合していました。

B29が飛んできました。誰かが言いました。
「飛行機に箱のようなものがぶら下がっている。」
「何かが光った。」
と同時に「ドドーン」というすごい爆発音です。
何も分からず草むらに飛び込みました、

続いて「ドドーン」「ドドーン」という音です。
後で分かったのですが、後の音は雷の音でした。
そして、すごい雨が降ってきました。
草むらから起き上がりました。
大きな「きのこ雲」に気がつきました。
きのこ雲の真ん中に朱色の線が下まで落ちていました。

水泳大会は中止になり寺から家まで一里の道を雨にぬれながら帰りました。
山の上から「キラキラ」と美しいものが飛んできました。
畑に落ちてきたものは枕であったり畳であったりしました。
村の役場から
「広島がどうも新型爆弾でやられたらしい。」
「何か字の書いてあるものが飛んできたら役場に届けてほしい。」
という伝達がありました。最

初は何か得体の知れないものを敵国がばら撒いたものかもしれないから、
むやみにさわってはいけないと教育されていた私たち子供は、
空から落ちてきたものを竹ざお等でつついて
大丈夫と分かってから、
雨の中を一生懸命品定めをしたのを記憶しております。

白いシャツが黒くなりました。
「このシャツはいくら洗っても白くならない。」
と言った母の言葉がいまでもハッキリと耳に残っています。
当時の広島は親兄弟をなくし原爆症で苦しんでいる人が大勢いました。
子供心に、「みんなに申し訳ない・・・自分は黒い雨しか遭っていない。」
それはずーっと私の何処かに残っていました。
母親に大切に育てられた私は、何不自由もなく育ちました。

「私は黒い雨にしか遭っていない・・・・・」
というこの言葉がヒロシマレクイエムにつながったのだと思います。