「生きる」                      2003.05.17 広島アステールプラザ中ホール

●ストーリー


60歳の同窓会のために広島に里帰りした京子は、
広島の街を通り抜ける市電の中で、ある老女に出会います。
市電の進行とともに京子は、
小学校時代の幼馴染の彩子と良男の事件を思い出します。

過去を引きずって生きてい彩子。
その彩子を助けようとする京子、女性の悲しい性。

老女は言います。
この電車だって原爆に遭いながら 
今も元気に走っているんじゃ。

生きる事じゃ、生きるんじゃ。



●ふと立ち止まって〜生きる雑感
     大塚京子

還暦の年、広島女学院高校の同窓会のために帰省し、いつもなら弟に迎えに来てもらうのですが、その日はなぜか広島が懐かしく駅の前に止まっている電車に飛び乗りました。

市電の窓から見えた京橋の下を流れる川は美しく、私は自分が京橋で生まれたので京子を名づけられたことを思い出しました。広島の街を眺めながらしばらくは思い出に身をゆだねていましたが、何かの拍子にふっと車内に目をやると、運転席の後ろに1枚のプレートがあるのに気がつきました。

”この電車は原爆投下後三日目より走り始めた四台のうちの一台です”と書いてありました。
その文を読んだ時のショックは今でも体が憶えているほどです。被爆という現実を潜り抜け、五十余年もの間車体をいたわり未だに動き続ける電車・・・。何人の人がこの電車に関わり、その都度原爆投下の無念を思い出し味わってきただろうか!

今世界は戦争の動きに敏感になり、昨日は何人空爆で死んだ、きょうは銃撃で何人死んだと毎日報道されております。しかし、過去に広島では一日に十万人以上の人が死んでしまったのです。戦争はどんな戦争でも惨めなものです。五十八年前はテレビはありませんでしたが、今でも世界では原爆のことを知らない人がたくさんいます。そして、広島にいながらこの電車に張られたプレートに気がついていない人がたくさんいると思います。

生きる尊さをこの電車を通じて少しでも見直してほしい。
こんな思いがこの”生きる”の作品としてのスタートなのです。